バナーラス③
バラナシ行ったのって6月だからもう半年経ってる・・インド気分もそろそろやめ時かな。始めはずっとバナーラスって言ってたなー。ネットで語源的にはバナーラスだとか読んで意味込めて言ってたけど、皆バラナシって返してくるから恥ずかしくなってやめた。
さて本題。時系列は既におかしくなってしまっているけれどバナーラス三日目あたりの話。
部屋が地下窓なし、上に発電機のせいで嫌気がさして延泊をやめて移動することにした。宿替えで半日使うし、熱が全く良くならなかったが賭けてみることにした。南寄り、アッシ川近くのゲストハウスへ。喧騒が少し落ち着いたような場所だった。逆に少女が裸足で牛の世話してたりもしたけど。宿の主人は口調が優しいおじいさんでチェックインも穏やかに話しかけてくれた。隣の部屋では、ランニングシャツ姿の白人系のおじいさんがもう一人の家庭教師らしき(?)人と勉強しているような、そんな雰囲気の宿だった。
mapでみたら近くに大学があったので大通りに出て南へ。ふらっふらで諦めてOneBiteというバーガーショップに入った。 テレビで店員と「Flying jatt」を観たがアメコミ×インド気質みたいな、かなり面白い映画だった。
しんどすぎて血迷ったのか、出してくれた水を飲んでしまっていた。気付いたのは、注ぎ足しにきてくれた際、水が1.5Lのスプライトの空きペットボトルに入ってたから。電車の水場とか、あの緑のやつ持って水汲む少年めっちゃおったんよね・・
もう無茶苦茶後悔して、天井に向かってため息を吐いた。この晩、またベッドで夜中起きてもがき苦しんだ。笑
しんどすぎて食べカス写真もぼやけてた。
翌朝は、有名な火葬場のあるマニカルニカー・ガートに行くことにした。観光地内でいうと南端の宿から、火葬場は北西端にあるけどやっぱり一目見てみたくなった。「焼いてる場所で平井堅の瞳をとじてを歌う」っていう馬鹿な目標があったのだ。
リキシャで近づいて、散策も兼ねて割と幅の広い坂を登っていった。道中は商店やトイレ、寺院もあり国内観光客が多く感じた。
やはり解熱剤は一時間ほどで切れてきたのか辛いが、ORSとアイスクリームで休憩してひたすら歩いた。平坦になった場所で若者に絡まれ、朦朧としながら写真を撮った。からかわれているような気もしたが彼のテンションが高めで、熱があってしんどいねん、なんて説明する気も無かった。
ガートの方への道はまた迷路で歩く人もおらず、細い道を下っていった。
薪が大量に積み上がっていた。
開けた階段の周りで、久し振りにチャイが売られていて飲んだ。陽気なおっさんが寄ってきて、葉っぱが買えると教えてくれた。体調が良ければ、今貴重品ほぼ持って無いしやってみてもええのに・・と思った。まあやらなくても良かった。
さっきの薪を肩に担いで運ぶ人がいて、付いていくと担架で遺体も運ばれてきていた。目の前では焼き場スペースが4つ程並んでいて、使っているのはその内の一つだけで、一人が付きっきりで火の番をしていた。服が燃え、次は身体、なんやけど均等に焼けない(燃えるっていうかまずはシュワシュワ沸く)。時々木の棒で寄せていた。
花や飾りで綺麗な担架が新しく運びこまれてきて、まずは河へ。儀式の流れが他にもあるらしかった。働くのは20代前半の若者が多いようで、一仕事終えたら仲間と話したり、ストールを取ってきて羽織ったり、リラックスする様子が精悍に写って印象的だった。
終わるまでどれくらいかかるのか見ておこうと思って、始めは静粛な気分で立っていたが、辛くなって階段に腰掛けて、壁に寄りかかった。朦朧とした頭に、炎の熱気が心地よくて、ぼんやりと見つめながら、瞳をとじてを口ずさんでそのまま少し寝た。お金を要求する輩も、見せもんじゃない、と怒る人もいなかった。帰りがけで葉っぱのオッサンにはまた会ったが。因みに遠くから大声で「ヘーイ(笑)ブラザー!」みたいな感じで常に陽気なおっさんだった。
夕方にまたガートをひたすら歩いた。昼とは違って、名物の豪華なプージャshowがあったり、
イルミネーションが綺麗だったり、
何かの撮影で警備されていたり
ただ燃やしてるだけ?のところもあった。遠くから見るとこれが綺麗やったんよな・・
泥団子で遊ぶ子供もいた。全然上手く出来てなくて可愛らしいが、インドは夜遅くても割と子供だけで遊んでる子いるのがすごい・・
広くなった場所では、子供向けのおもちゃを売る人もいた。大人も、子供自身も売っていた。子供だと思って接したら2人で「なんかこいつなめてへん?」みたいな感じで話していた。
何とか宿まで帰って、広い部屋で洗濯して寝た。