時々、意味もなくずんずん歩く

コロナウイルス対策の自粛ムードが始まって2ヶ月?ぐらいが経って、なかなか暗い気分になっていた。あかんあかん。笑

新しく入社して、他の人も不安を持ってるかな、なんて勝手に思って全く誰にも会ってなかった。もしも罹ったなら甥っ子姪っ子のところにも当分遊びにいけないだろうし、いまお金もないし、なかなか難しい情勢。阪神淡路大震災時は3歳で覚えておらず、こういうのは初めてかも。

 

【時々意味もなくずんずん走る】。仕事を辞めてからよく気分を盛り上げてくれた一文。高野秀行「世にも奇妙なマラソン大会」の書き出し。高野氏は宮田珠己氏の一文から持ってきたようで、元は、時々意味もなくずんずん歩く。

インド滞在中も帰ってきてからも、よく歩いた。リキシャ代ケチったとか、迷わないように散策しようとか(一日一ターン制で動いていたからよく下見に行った)、暇だったとか、ただ無駄に徒歩だった。デリー駅から宿まで暗いなか歩いたときはもう凄く怖かった。でもふと、「いまずんずん歩いてるなあ(笑)」なんて頭に浮かぶと、にやけながら歩けた。Bon joviのits my lifeもテーマソングになった。なかやまきんに君のネタを思い出しながら口ずさんだ。いや、実際はのそのそバタバタ歩いてるんだけど。

歩いていると考えるのも面倒なのか暇だからか、建築物に目がいって、これはどうやってつくったんやろう、このタイルはキレイやけどすごい大変そう、これはまあ若手でもできそう、とか思う。舗装がバチッと決まっていて滑らかで歩きやすい、こしらえた人達はすごいよなあ・・

リフレッシュするのに定期的に、目的等は決めずに、いつも通らない道を歩いたり。たまに思い出そう。

 

それにしても、これまで親父はよく頑張ったと思う。おかんが橋から飛んで親1人子4人になってからは、朝は僕と姉の弁当を作り、帰ってくるのは夜8時頃。土曜日まで働いて、日曜日は実家で田んぼや畑の手伝いをして。自分の家に帰ってきてもおかえりなんて誰も言わず、ご飯もない。炊いた白飯が炊飯器に残されていたりいなかったり。とにかく安い系の缶チューハイやら発泡酒を飲んでテーブルでうたた寝しながら小僧達の風呂を待つ。風呂はだいたい湯が冷めてたし、湯量がほぼなくても誰も父の分は気にしない。兄二人も父に対して素直な接し方でなかった。僕は常にぼけっとテレビを観てて、頼みもせずに小3から中学卒業まで野球をさせてもらった。高校ではやたら高いユニホーム類を買ってすぐ辞めてしまって、何週間か引きこもって登校日数ぎりぎりだった。進路も就職の事も話したことはなかった。今回の就職以外は転職も話してこなかった。なんて気ままなもんだ。

 ただ近頃は身体の節々が調子悪いとか、仕事がないとかで、しょうがないけど怠惰な生活をしている。一緒に住んでると同調しそうで嫌だった。彼も歩いたほうがいい。

僕もかなり似ていると思うが、父は不器用な人だ。いつもヘラヘラしていて、会話がぐだぐだで、他人に合わせてるようで頑固で、屁理屈で、お酒でいつも紛らわしていて、なんか色々と自己流でビミョウ。もはや乞食(無駄にガラクタをもらってくるのと、法事なやなんかで飯屋にいくと必ず何か持って帰ろうとするところ)。

でも、耐えに耐え忍んでここまできたのは本当にすごい。なんでこんな家計のなかで不自由なく育ててもらえたのか。なんで自分にはお金を回したりしなかったのか。知る限りもうだいぶ服は一着も買っておらず、パンツ靴下なんかは、中学生の僕の捨てようとしたものを履いたりしていた。なんか言葉が似合わないけれど、絶対に守り抜きたいところがあって、人が良いから、としか理由は浮かばない。

 

このGWに帰って何かすることあるかな、なんてまどろっこしくメールで聞いてみたらすぐに着信があった。僕が働き始めたことを嬉しがるような声だった。好きなこと、おもしろいと思う仕事したらいい、と言われた。とりあえず特に仕事はないし、帰ってくるかはどっちでもいい、と。もうだいぶ前から、人間のレベルは対等(仕事で専門にしている事以外)だと思っているけど、気にかけてくれている。すごく父らしい。いいところを普段も発揮して、もっと田舎に誰か遊びにきたり、ちょっと手伝ってもらったりなったらいいなあと思う。

たぶんお盆は帰って草刈りすることになるとおもう。はっきり意見はなかったけど。