振り返れば、Haridwarが一番よかった
かなり久しぶりになってしまった。
6月11日、日本に帰ってきてインド恋しくなったから、記録再開。
半月以上も前の事なので思い返すとまだまだ書ききれていない。
ハリドワールであったこと。
・駅で学生風の青年に「money problem」とかなんやら言われて列車代に100ルピーあげる。学生なら応援すべきかと思ったし、身なりも態度も控えめで疑う自分に引け目を感じた。200ねだられたが怪しいので100にした。インドでは大金だ。確かではないが、3rd Classには乗れない額。Generalならたいてい行けたはず。(お札を渡した瞬間さらっと振り返って去っていった)
その後、街中で同じ手口の青年に出会う。やっぱり嘘やったんか!憤慨した。
100ルピーもあれば良い定食屋さんで飯が食える。物乞いの人にもあげたことは殆どないのに(あげても10ルピー)。
しかも二人目の彼はしつこかった。「ほんとに困ってるんだ」みたいな英語で、追いかけてくる。「お前みたいな奴に昨日あげたから。もうないんじゃ」英語でもっと皮肉を言いたかったがとにかく振り切った。
・きゅうり。かなり太いし皮が白い。30ルピー位。ピンク色の塩を塗って渡してくれる。
・駅前通りは馬車も走る。家族4人位とスーツケース満載で颯爽と走っていく。ちなみにリシケシでは馬車はおらず、砕石の運搬に馬使いがいた(5頭くらいでビーチの砕石を山の方へ運んでいた)
・チャパティ以外ならプーリー(Puri)がおいしい。お高め。水は飲まない事。
・ターリー
・ガート
駅前の道路で運ばれていたのは多分、亡くなった人。
・Haridwar Junction駅前にあるシヴァ像。やっぱりなんか日本とは違う。
・ハリドワールでは、たくさんの巡礼の僧がいた。たいてい、オレンジの上下腰巻きみたいなんだが、服はもっと質素、荷物もほぼなく、よろよろガートに向かう老人がいて、すれ違う若者が額に手を当てていた(ヒンドゥーの作法だとおもう)。あのご老人のような人が、元来のヒンドゥー教における敬わられる人なのだと思う。
次はYOGA Expressに乗ってデリーへ。12時ギリギリにホテルをチェックアウトして、電車は16時発なのでひたすら待つ。リシケシの土産で買ったヘナ、は東南アジアで広く買えるのを知ったので自分で使った。
Haridwar②
2日目の昼前、ほぼ人の居ないJwalapur駅からHaridwar Jn駅へ。どうせ5分程度ならGeneralシートに乗ろうかと思ったけれど、待ち時間がありそうで諦めた。北側に出るとトゥクトゥクのおっちゃん2人が話かけてくれた。結局100ルピーでハリドワールジャンクションまで。昨日の300、500が当たり前の世界は何だったのか・・もしかして繁華街までくれば帰る方向でも稼げちゃうからかな。なんて考えるのは今になってからだ。
2日目の宿はAGODAでとったHotel KING。ここの受付の方はとても真面目だった。ちゃんとアゴダの僕の予約情報が記帳されてあった。ホテル街だが裏手の筋にあって静かに過ごせた。延泊しようと英語のフレーズを覚えた。即答でOKと若い兄ちゃん。もう一度聞くと埋まっているらしかった。笑
ちなみに次の日のホテルでまた断られた。ネットは諦めて、結局すぐそばの1500ルピーのお高いホテルをとった。次の日は練習も兼ねて違うホテルをとった。
OYOはネット情報によると、インドのホテル再復興オンラインサイトみたいな感じで小中規模ホテルの改装を支援していて、ネット予約サイトにも載せてくれるみたい。だけら室内はすごくきれい。ただおっちゃん達がネット予約を無視してたりするみたい。僕の場合は全く確認する素振りが無かったからただの嫌がらせかもしれないが。とにかく、そういう人はサービスも期待出来そうにないし、英語レベルもがくっと落ちるので諦める。OYOのTシャツ着てるのにオンライン受け付けてないってほんまですか?みたいな文句の言い方覚えてないしね。笑
外国人だらけのリシケシとは違ってここハリドワールはインド人っぽい、しかも家族連ればかりに感じた。お土産屋さんも、サリー、ヒンドゥー教の関連と同じ位の、子供服やおもちゃ屋さんがあった。
定食屋もたくさんあった。ハルキパウリに向かう道に並んでいるから、選びやすいし立ち寄りやすい。人気がありそう、洗面台と石鹸がちゃんとあるとか、シェフとウェイターがきびきびと真面目に働く姿がみえたり。大体がNorth indian punjab sauth indianと看板に書いてある。インド人的に「お母さんせっかくやから南インド料理がいいなあ」とか狙ってるのかな。笑
Har ki pouri周辺でも、子供のおもちゃ(光る腕輪とか、電動竹とんぼみたいなやつ)を売る人がちらほらいた。夜8時過ぎでお祈りの時間は終わっていてもなかなか賑わっていた。
3回ガートには来たけど、水に浸かったのは宿から近めの場所。流れが早くて、掴むための鎖があるが、もし流されたらたぶん死ぬ。青年が流れる遊び(??!)をしていて焦った。
なんとなく思ったのは、インド人も純粋にプールみたいに、あるいは観光地として楽しんでいるということ。信仰心が深く何度もお祈りするイメージがあったけれど少し違った。若い世代だけかもしれないけれど。
面白かったのは、風邪っぽくしんどい時に出かけると、Ghatなんか造るから水不足なんちゃうんか、とか石造りのガートは頑丈過ぎて自然破壊ちゃうんかとか、なかったら小川とかもっとあったんじゃないのかとか、否定的に感じてしまうところ。
マンサ・デーヴィ寺院は登っていく景色が良かった。ただ、やっぱりビニールとかペットボトルのゴミは投げ捨てられていてよろしくない。本殿には食堂があって少し幻滅した。お参りは各所で名前を聞かれ、まじないをかけてもらえるが名前だって適当に聞こえるし、お布施が10とか100と言われる。しかもそのお坊さんは街でみるサードゥみたいじゃなくて明らかに若くてバイトのように見えてしまった。なんか、観光地なんやなって。ヒンドゥー教の勉強が全く足りてないのかもしれないけど。
ハリドワールはなんだかんだでかなり良かった。
あと、チャイがティーカップで出てきて嬉しかったこともあった。
Haridwar
5月22日Rishikeshを出発してHaridwarへ。
支度する前に朝チャイした帰り道で、同室で下のベッドのインド人に会えた。彼も今日チェックアウトでバンガロールに帰るらしい。彼も静かにリゾートを過ごすタイプで落ち着いた話し方と、風邪の事を心配してくれたのが嬉しかった。
宿周辺からバススタンドまで、トゥクトゥクが300ルピーと言われた。んなわけ、と思いながら歩き出したら、タクシーは500と言われた。あちゃー。結局半分以上、ラムジュラの橋の向こう側まで歩いてから、150ルピー払ってトゥクトゥクに乗った。
リシケシバススタンドでは、デヘラドゥンとは違ってバスの行き先が判らなかった。たぶん、バスに書いてあるヒンディー語が行き先なんだろう、と思った。もちろん周りの人に聞けば教えてくれた。優しい。まだ席は4つ位空いていて安心した。最後列に座れた。途中で10歳程の少年がとなりに乗ってきた。
ガンガーが見えた瞬間、その少年が額に手をあてたのが印象深かった。
ハリドワールはバスステーションも駅もなかなか広かった。それに欧米人が全く居なかった。
その日の宿は駅からかなり遠く、トゥクトゥクも法外な値段を言うのでひたすら歩いた。しかもネット予約していたのに、受付で外国人お断りされた。OYOってよくみる看板だったけど実際はネットは放置なのかな・・たまたま既にカード払いしていて、あたふたしていたら泊めてもらえた。やっぱりすこし熱っぽくて暗くなるまで寝た。外を歩いてみてやっと気づいた。ここは観光地ではなかった。ガンガーは近いが支流の支流でガートもない所だった。小さいお店で初めてご飯を食べた。かなり良かった。
二日目の朝、ハリドワールの駅からほぼ隣の駅まで来ていた事に気づく。駅まで行ってみると人も店も何もない駅だった。
Rishikeshの水はキンキン冷え
5月19日の朝、学校のホステルを出てRishikeshへ向かった。
DehradunのISBTに行ったらリシケシ行きのバスはすぐ見つかった。リシケーシ!リシケシ?って叫んでるおっちゃんのおかげ。5人しか乗客いないやんと思ってたら、走り出してからどんどん乗ってくる。道端から乗れたのかな。・?
紳士なおっさんが徴収にきて48ルピー払った。一時間位後にまた請求された。笑
領収書なんかもらってないやんって説明してたら、隣のローカル女子が助けてくれた。
2時間位でリシケシバスターミナルに着いた気がする。
わらわら居るリキシャはスルーして歩き出したらお店がほぼなかった。通り過ぎるリキシャも全て6人乗った状態で、僕はバックパック大小2個持ちなので諦めた。車道は大渋滞だったからコレでよし、って事にした。
ラムジュラの橋まで見どころはなかったが、橋をこえると散歩道みたいになっていてきれいだった。ベンチもあるし、水道もあったから顔を洗ったりできてよかった。
道行くインド人は学生とか家族連れではしゃいでいて、白人はバックパッカーとかヨギーみたいな格好で落ち着いている印象をうけた。
1日目はラムジュラの橋の近くのシングルに500ルピーで泊まった。
ACなし、ロッカーなし、ホットシャワーなし。椅子が埃かぶってたけど快適だった。
2日目は欲張ってなんたらバックパッカーズへ。400ルピー。2日分部屋とっちゃったので800。4人部屋でAC付き、部屋ごとにトイレあり、ホットシャワーあり。エアコンで喉と鼻がやられた。
今晩の喉対策はどうにか出来るだろうか・・
薬は買えたけど、部屋変えてもらっても一緒やろなあ、濡れタオルで乗り切れるかな・・
早朝からスマホをガンガーに落とした。すぐ来て手伝ってくれたグジャラートのポリスの若者集団、ありがとう。
とりあえず、動いたので安心。確実に水は中に入ってて誤作動があるから、何か乾ききったやつと安静に寝かしてみよう・・カメラも曇り消えるといいな。
留学終わり。ここからは一人旅
一昨日の金曜日で学校の授業が最後だった。
本当は8週間のはずが、9週間滞在していて、サラ(チャニ)にしっかり請求された。シヴァニ先生が勘違いしてたのに。でも自分で気づきながら放置してタダで過ごそうとした僕が一番汚い。笑
最後の週にさしかかった辺りから、突然周りの嫌なところが見えだして、インドが嫌いになっていた。今までよくもこんなに違いを楽しめてたなと。
ドライバーはウイスキーねだってくるし、料理人はトイレ汚すし、ちゃんと狙えよ・・
それから、二人共、前よりヒンディー語でがんがん話しかけてくるのは何故?普段から英語で話されて困ってたはずやろ・・そのスピードで喋られてわかると思ってんのか!
あくまで僕らは違う言語同士の間柄で、嬉しい楽しい好き嫌い位の単純なやりとりで交流するのが一番スムーズで良いよ。
ウイスキーの残りをあげたのが悪かったみたい。学校側に給料の交渉をしてうまくいかなかったらしく、次の日から来なくなった。
安易にものやお金をあげるのは良くない、とよく聞いたりするが、まさに今回がそうだった。住みわけが出来ているのを壊してしまった気がした。住んでいる世界が違う。インドでははっきり皆が認識しているように思う。でもそれで良いのか?!
彼らには学習する機会がない。そのかわり、たまに幸せそうにも見える。例えば庭の手入れをする人。その人は庭の事しかしない。そのおかげで庭には小石1つもない。スローライフ。お給料はいくらか知らないけど、まともな給料出せるはずがないよね・・
インドは食べるだけならかなり少ないお金で生活出来るのだと思う。
だから、お店の人はリラックスしてて、売上なんか気にしてなさそうに見えるのだと思う。
おそらく、彼ら、教育を充分に受けていない人の給料はかなり低い。僕が見た限りその区切りがはっきりしていて、英語が話せる人は皆流暢で、その他一般人は全く話せない。
Peonという言葉を授業で習ったが、それは差別的意味があるのか聞けなかった。(単に言い方がわからなかった)
日本とインド、どっちもどっちやね。
よし、今日からリシケシに行こう!
Jhansiへ、結婚式に参加する
昨日と今日、結婚式に参加させてもらった。
言葉にして内容が色褪せたり痩せてしまうと困るからこれだけにしておく。
とにかく、行けたら行くね、参列するね、みたいな気持ちで行ったのに、日本からきたご来賓、みたいな特別待遇をうけた。僕が楽しんでいるか、ご飯はどうだったか、皆が気にしているのはそれだけだった。留学では色んな人に出会ってはすぐに通り過ぎていくけれど、これはもう手放せないかもしれない
…ミンナが向かいで寝てるの見てるとこの人はどんな気持ちなのかと感情のギャップを感じる。僕は出来事が過ぎ去ってから気付きだすのが、たぶん彼女はその場で全力なタイプなんだろうか
Good Friday
3連休やったー。と思ってたら、日本はGWでしたね・・
金曜日がGood Fridayで休みでした。peter曰く、キリスト系の行事らしく、アメリカでも祝日じゃないらしい。なんかおかしいやん。
Kostaが4週間終えたので一人部屋となる。彼はいま、joshimath(ヒマラヤ)へ行っている。
結婚式、この頃よくやってるけどすごく良い。食事は立食パーティー的で、DJが音楽流してて奥では踊ってる。夕方から太鼓打ち始めて、夜22時位まで楽しんでる。おそらく超金持ちの場合なんだろうけど、とにかく結婚式が人生最大の行事らしい。
初等学校が選挙の投票所になっててアーミー?まで来てた。わりときれいな服で来てて、ムスリムの人も意外といることに気付く。普段はムスリムで裕福そうな人見かけない。小さい商店になら、たまにいるけど。